ネット心中が連鎖していますね。
ネット心中の連鎖が続いています。先日、草野球をしているときに、某局から電話がありました。
「アパートで男性4人が練炭自殺しています」
今度は都内で起きのでした。しかも練馬区だったので、知人が住んでいます。もしや、知人か、あるいはその関係かと思い、すぐに電話しましたが、元気でした。それにしても、アパートでのネット心中は、昨年の埼玉県入間市のとき以来です(このネット心中は、今日まで続く連鎖のきっかけとなったものでした)。
さらに、その日の夜、知人と飲んでいると、某新聞から電話がありました。
「練馬でもありましたが、群馬でもあったんですよ」
この日は、日曜日。それまでに会社の仕事を一段落させての自殺かもしれません。また、人と出会わない日なので、孤独感が衝動的にやってきたのかもしれません。あるいは、なにかの「記念日」で、計画的にその日を選んだのかもしれません。その日を選んだ事情は、個別的にあるのかもしれませんね。いずれにせよ、集団的な意味では、その日を選んだ理由はないことでしょう。
さらに昨日もまた、静岡でありましたね。一連の連鎖で初めてだとはおもうのですが、高校生が含まれていました。某新聞社からのメールでの問い合わせで、この件を知りました。
しかし、どうしてこの時期に続くのでしょうか?
練炭を使った自殺ですから、練炭を買うシーズンで、不思議ではない時期なのでしょうか?
よく聞かれます。
「なぜこの時期に多いのでしょうか?」
私にもわかりません。
俗に、年末には自殺が多いとされていますが、統計上は12月よりも、3、4、5、6月のほうが多いです。年末に意味があるようには思えません。でも、一日平均すれば、90人から100人ほどの自殺者がいるので、たまたま「ネット心中」という手段を使っただけかもしれません。
それにしても、なぜ、自殺のサインを周囲の人は見逃すのか?
サインは分かりにくいものを含めて、出しているはずです。
しかも、相手を決めて。周囲の人、すべてに出す訳ではありません。
選ばれた人はプレッシャーでしょう。私も「選ばれた」ことが何度かあります。
でも、「選ばれた」ことを知るのは、ほとんど、後になってです。
なかには、前で気がつく事もありますが。。。。
やはり、コミュニケーションのずれが最後まで解消されていないということでしょうか。
ただ、そもそも3万人以上の人たちが自殺を選ぶ社会を、私たちは生きているのでしょう。
表面的にはそうではなくても、加害者的な側面があるということなのでしょう。
でも、それは単純な「加害」「被害」の関係ではないから、やっかいです。