グッドナイト&グッドラック

グッドナイト&グッドラック



年度: 2005

国: アメリ

公開日: 2006年4月29日

張りつめた緊張感に男たちの信念が充満する。ジョージ・クルーニー渾身の“真実”のドラマ





 1950年代のアメリカ。

 ソ連を中心とする共産主義との冷戦のさなか、アメリカ国内にいる共産主義者社会主義者、そのシンパ、関係者を追放する“レッド・パージ”が起きる。その中心となったアメリカの上院議員マッカーシーの名を取って、マッカーシー旋風とも言う。



 その中で、報道も萎縮する状況が生まれる。CBSのキャスター、エド・マローがその萎縮した状況では、自由の名のアメリカではないと思い、共産主義者のレッテルを証拠に基づかないことを疑問に感じ、仮に共産主義者だとしても意見は尊重すべきと思い、マッカーシーに挑戦する番組をつくる。



 しかし、エド・マローの番組でのスポンサーがおり、結局は、視聴率も取れ、スポンサーもつくクイズ番組に取り代わる。そして、そのキャスターの報道番組は時間帯を変え、残り回数も指定されてしまう。一方、マッカーシーは、レッド・パージの調査委員会を下りるが、上院には残る。影響力は多少なりとも続く。結局、エド・マロー、そして、テレビは政治に負けたのだ。



 テレビの弱さは日本でも同様にあるだろう。しかし、自由の国のアメリカでさえ、報道の自由を制限しようと思えば、いつでもできることを証明している。ただ、視聴率がクイズ番組に負けるのが、報道が負ける理由のひとつとしてあるのなら、負けないために視聴者の協力が必要になる。



 自分自身の身の安全を守るために、友人を犠牲にしてしまうレッド・パージ.まるで、共謀罪が導入されようとしている今後の日本をみるようではある。



 ただ、アメリカ映画っぽさは、共産主義は「悪」としているところ。アメリカはその「悪」の意見を認めているのだ、と。映画の中で、証拠と適正手続きに基づいて共産主義者かどうかを判断せよ、と指摘する部分があるが、共産主義が「悪」というのも、証拠と適正手続きに基づいてほしかった。



 メディア・リテラシーの勉強にもなる映画であろう。