ニート・フリーター・格差社会

 きょうは、田町にあるイノベーション・キャンパスで「若者の未来について考える座談会 ニート・フリーター・格差問題のゆくへは? 」というイベントを開いた。なかなかよい施設だったので、なにかあったら、ここで気軽なイベントができるんじゃないか?って思いました。



 イベントでは、まず、山形大学の加納寛子さん(情報教育)が、ニート・フリーター等のデータを提示したり、産み出される背景を説明。その後、私がいろいろ思っていることを話す。

 そもそもニートってだれよ?ってこと。いわゆる若者無業者のうち、就職活動もしてないで、学校にも行っていない人のことだけど、ちょっとの期間でも、その状態であればニートなのか?社会的ひきこもりの場合は、「六ヶ月以上」という期間の設定があった。でも、ニートでは、その期間が1日でも、1年でも、同じ「ニート」になってしまう。それって、同じ「ニート問題」として語れるのか。

 また、私が接してきた「ニート」は、現実的には、ニートと失業者(就職活動はしている)、フリーターを繰り返している。となると、彼ら・彼女らは、ニートとして考えるのか。フリーターとして考えるのか、すごく難しくなる。

 また、仕事への意欲がもともとなくても、これまでの企業社会ではそうした人たちを内包してきた。しかし、徐々に、派遣労働者が増え、フリーターといった不安定雇用・低賃金労働者がその周辺に配置されてきた。そのほうが、会社として、利益が上がることを自覚したためであろう。だとすれば、そうした時代に産まれた世代は、損な世代、貧乏くじ世代なのか。



 たしかに、そうした時代に産まれて損なことはたしかにあった。しかし、それは時代のせいという面もあるが、そうした経済社会を望んだ(すくなくとも、そうした経済政策をおしすすめる政府を選んだ)ということなので、世代のせい、というよりは、そうした政治家を産んだ側=有権者の責任でもある(投票行動をしない消極的支持を含む)。



 そんなことを考えていて、ふと思ったのは、参加者のひとりであるジャーナリストの石井政之さんが指摘していたが、働くことを考える前提は、正社員か派遣かフリーターかであり、なぜ、自営業者という視点がないのか。自営業は、仕事それ自体+営業もしなければならないので、リスクも大きいし、コミュニケーションスキルも必要になる。フリーライターなんか、ほとんどそんな自営業なんだろうな。

 

 会場からはいろんな意見が聞かれました。

 世代のせいではあるが、全部、世代の責任にも還元できない。いろんな意味で、就職への知恵がある人たちは、きちんとできていたりする。ただ、就職それ自体が幸せかどうかはまた別問題ではある。

 国が若者無業者対策を行っているが、その実効性を問う話もあって、国の政策に対するきちんとしたオンブズマン制度が必要だな、って思ったりした。でも、こうした無業者対策を、公務員ができるのか、って疑問もある。公務員に出来ないのなら、どこかに丸投げしてもいいだろう。そのかわり、チェック&バランスは必要だけどね。

 なんだか、いろいろ意見があったけど、最終的には、どんな時代であれ、それぞれの仕事の形式に必要な「能力」はある。就職であれば、合格するスキル。フリーターであれば、自分で人生設計をするスキル、自営業者なら自らの仕事をマネージメントするスキル等等・・・・。