「死ぬな」ではなく「逃げろ」と

 日本テレビ・ザワイドでVTR出演した、ヤンキー先生こと義家弘介氏は、いじめ自殺問題を学校の体質の問題を批判したうえで、いじめられている子どもたちに「死ぬんじゃない」と言った。かつて、朝日新聞鎌田慧氏(ルポライター)も「死ぬな」と書いていた。「そのままでいいんだよ」でおなじみ、夜回り先生こと水谷修氏も、「死ぬな」と、同じようなことを言っています。



  たしかに、いじめられている子どもたちには死んでほしくはない、と私も思います。しかし、当事者に向かって、「死ぬな」「死ぬんじゃない」は、きつく聞こえるんじゃないだろうか。おそらく、当事者の子どもたちにとって、「死ぬな」「死ぬんじゃない」という言葉は、ニアイコールで、「我慢しろ」と聞こえるんじゃないだろうか。「いじめられている」→「死ぬほどの思いをする」、そんなときに、「死ぬな」は、現状を受け入れろ、と聞こえかねない。



 そのため、私は、「死ぬな」ではなく、「逃げろ」と言いたい。現状から一旦逃げることで、「いじめられている」現場から距離を置く。そのほうが、「死ぬな」よりも、生きる選択の幅を広げられるように思う。「死ぬな」では、仮に、いじめられている側に寄り添う人がいない場合は、逃げ場も居場所もない。しかし、「逃げろ」だとすれば、寄り添う人がいなくても、とりあえず、居場所を確保できるのではないだろうか。たとえ、学校や家庭に居場所がなくても、自分のために、逃げてほしい。私はそう思います。そして、その逃げ場が、近所の駄菓子屋でもいいし、塾でもいい。インターネットでもいい。どこかに、寄り添ってくれる存在が見つかるはずだと思う。



 徹底的に逃げろ!



 そう言いたいですね。

 まずは、そこから始まります。いじめを解決する方法を探すとしても、それまで耐えられないとしたら、逃げましょう。