11月に起きた大阪家族殺傷事件で、殺人容疑で逮捕された大学生と、殺人予備容疑で逮捕された女子高生の鑑定留置が決まった。2人の精神鑑定が行われるようだ。

<大阪>家族殺傷事件 2人を鑑定留置

大阪府河内長野市の家族殺傷事件で、大阪家裁は精神鑑定を行うため大学生と女子高生を来年2月16日まで少年鑑別所に鑑定留置することを決めました。
家裁には大阪地検が刑事処分が相当とする意見書を提出したのに対し、弁護側は精神鑑定を行うよう求めていました。既に鑑定医も決まっていて今後、2人には面接や心理テストなどが行われます。鑑定留置を行っている間、審判は中断されます。(朝日放送
[12月11日19時54分更新]
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031211-00000008-abc-l27

 たしかに、弁護側からすれば、被疑者2人を減刑させるための手段として精神鑑定をするのだろう。妄想とも受け取られる二人の、家族殺害計画と心中計画。これがどこまで現実味を帯びていたのか。またそれらの計画の裏には、家族病理や精神病理があったのか。それを見極めたいことだろう。
 家族病理はあったのかもしれない。親を教師に持ち、学校でも家でも良い子を背負っていた可能性はあるだろう。その背負いきれない「生きづらさ」の表現方法としてリストカットを選択したようにも思える。さらに、自己愛を肥大化させた結果なのか、HPのさらなる個性化をはかったのか、コミュニケーションの手段となり得ると思えたのか、ゴシックロリータファッションをも選択することになる。そうしたHPは、自傷系サイトには多く見られ、そのこと自体が事件に直接結びつくようなヒントは発見されない。

 しかし、それほど深い精神病理があったのだろうか。わたしは、この問題に対し、メルマガ「生きづらさな時代 てっちゃんニュース」で以下のように分析をした。

 彼女はそもそも殺害を企図していたのでしょうか?
 彼女のHPの自己紹介にある「自傷らーの100の質問」には、父母について、「もう大嫌いです 許しません」とあり、家族を嫌いだったことが記されている。個別には、父親については「うるさい(声が)」、母親には「うざい(触るな)」としていた。
 一方、初期の報道では、「2人の生活がしたかったが、住む場所がなかったので家族を殺そうと思った」「父母はいてもいなくてもよかった」「2人の生活がしたかったので、家族を殺して自分の家で住もうと考えていた。しかし、そんな生活は長く続けられないので、一緒の時を過ごした後は死のうと思っていた」などの供述している、とのことでした。
 またその後の報道(毎日新聞)では、2人は10月ごろから、直接会ったり、メールするなどの方法で、互いの両親を殺害することを計画。決行日を10月31日から翌1日にかけての深夜と決めていた、という。また動機について、女子生徒は「彼と交際を始めて、家族のことがどうでもよくなった」と話しているという。
 しかし、5日になって付添人の弁護士が会見。「家族への憎悪」「家族が邪魔」「自殺願望」について、女子生徒はいずれも「そんなことはありません」と否定したという。
 こうした報道等は、どれが真実であるのか、あるいはどこまで真実かは不明です。考えられるのは、1)本当に家族殺害を計画していた。しかし、弁護士にはまだ心を開いていない。2)家族を殺したい、とは思ったとしても、本当に殺害をするという行動まではいかないが、少年が本当に実行に移したためにどうしたらよいか、わからなくなった。3)そもそも最初から狂言的。このほかにもいろんなケースが考えられます。
 いまの段階でどのケースが真実に近いか。それを見極める情報が少なすぎます。ただ、現段階で思うことは、「家族が大嫌い」とか、「家族を殺したい」という気持ちは少なからず、少女の中にあったと思います。そして、それをHPに記したのでしょう。おそらく、家族を「生きづらさ」の原因のひとつと感じている人は、そうした気持ちを抱いたことはあるでしょう。
 わたしのHPにある「家族が邪魔な人々のフォーラム」にも、そうした気持ちの断片が書きこまれることがあります。しかし、現実に実行に移すまでには、さまざまな「壁」があると思います。その「壁」によって、多くの場合は現実化しないのでしょう。それに、心理的に「親殺し」をするのは、通常の発達過程ではあり得ることで、むしろ、自然なことです。そのため、わたしは、少女は「親を殺したい」とは思ったものの、それは通常の発達過程で起きうる心理的な葛藤の範囲ではないかと思います。その葛藤鯢集充蠱覆里劼箸弔法▲螢好肇?奪箸筌乾轡奪?Ε蹈蝓璽燭鯀?鬚靴燭里任靴腓Α?螢好?筌乾好蹈蠅蓮△修Δ靴浸廚い鯤??蠅笋垢?集修垢襦峙?罅廚世辰燭茲Δ忙廚い泙后

 家裁での鑑定では、これまでの警察での取り調べとは違い、落ち着きながら、供述できる雰囲気であることでしょう。カウンセリング的な態度を含めた対応が期待されるところです。
 この事件での供述が2転3転するなかで、同じようなサイトを開いていた人たちや、サイトを開いていなくても同じような志向の人たちは、不安に思ったことでしょう。「わたしも、周囲からも犯罪者のように見られるんじゃないか」と。そうした思いは、とくにワイドショー的な報道の中に見られました。「ゴスロリ」「リスカ写真」「自殺願望」などのキーワードと、事件を結び付ける報道が目立ったためです。
 もしわたしが新聞記者であったとしても、それらの記述なくしては、記事として成立しないことはわかります。しかし、関連づけを重視するかどうかによっても、記事の方向性は微妙ながらも変わってきます。
 わたしも、マスコミ・ジャーナリズムの中にいる人間ですので、その伝え方が難しいことは分かっています。とくにこの事件は、いわゆる自傷系サイトに詳しい人からすれば、事件との関連性は薄い事がわかりますが、そうでない人からすれば、関連付けられる要素が満載だからです。
 そういった意味で、わたし自身の自戒を含め、こうした問題の伝え方を考えて行こうと思った。