イラクで邦人3人が拘束されたが、再び、邦人が拘束された情報が入った。私は、この情報を昨夜知った。メディア関係者の集まりの流れで、その場にいた週刊誌の編集者に連絡が入ったのだ。
 「ヤスダジュンペイ」
 その名前を聞いたとき、「どこかで聞いたことある名前だな」と思ったが、すぐには思い出せずにいた。しかし、気になって、朝刊を読んだ時に、「安田純平」「元信濃毎日新聞記者」とあり、思い出した。彼には、一度、昨日と同じ会合で出会っていたことを。
 一度だけでも、会ったことのあるジャーナリストが拘束された感覚は、先の邦人3人の拘束とは違った感慨深いものがあった。彼は、サラリーマン記者時代、「イラク戦争と長野県とは関係ない」という社の方針を気に入らず、それでもなお、イラク戦争を取材したいと、社を辞めていた。当時、月刊「創」に掲載されたルポを読んだ記憶がある。安田さんとはそのとき会っただけなので、彼がどんなキャラなのかをあまり知らない。しかし、取材したいものがあるというエネルギーはすごいなと思っていた。安否が気になる。

 昨晩も、メディア関係者と話をしたが、拘束問題は話題に出ていた。会合に出席するはずだった同じ大学の同期で、映画監督がいるが、先の拘束された3人のなかに知りあいがいたらしく、なにかの動きをしているらしく、欠席だった。また、前回の会合で出会ったジャーナリストは、ヨルダンに行くことになった。周辺が騒がしくなってきた感じがしていたときに、安田さんの拘束が加わった。結構、身近なところで、ことは動いていたことをあらためて感じた。

 ただ、それでも、先の日記で書いた思いは、あまり変化しない。もしかすると、その思いの背景には、「そこまでして取材したいものがある」というエネルギーに対する嫉妬があるのかもしれない。しかし同時に、「なぜそこまでイラク取材にこだわるのか」が、よく理解できないものもある。その二つの感情が絡まっている。ただし、国家による保護ではなく、ジャーナリストやNGOの支援活動には賛同していることは付け加えておこう。

 それにしても、邦人拘束が続いたが、その邦人はジャーナリストやNGO。彼ら彼女らは、日本人でありながらも、ナショナルというよりはインターナショナルな立場、ニュートラルな立場であると思い込める立場だ。
 「メディアできちんと伝える、現地の人を支援する」。たしかに、それらは一見、「イラクのため」のしていることだ。しかし、そもそも戦争取材に関して、ニュートラルな立場がありえるのか。
 かつても戦場カメラマンで命を落とした人は多い。戦場では、ジャーナリズムは当事者でもある。特に、情報戦となった現代戦はその要素が高い。しかも、そのジャーナリストやNGOが日本人であれば、ソフトターゲットとして狙いやすい。「イラクのため」と思っているのならばなおさら、警戒が薄れる。そこに拘束される隙があったのだろう。


 西日本新聞の、安田さんへのインタビュー
http://www.nishinippon.co.jp/news/2004/iraq/kiji/ren_tou/01.html


 拘束直前に東京新聞に寄稿した原稿
 http://npopeaceon.org/popupwindows/etc/junpei1.html


邦人記者ら2人が新たに拉致の情報

 バグダッド近郊のアブグレイブで取材をしていたフリーライターら日本人2人が、数台の車に乗った武装グループに拉致されたとの連絡が、14日夜(日本時間)、フリーの写真家などで組織する「日本ビジュアル・ジャーナリスト協会」(JVJA、東京都杉並区)に入った。

 外務省では、在バグダッド日本大使館などと連絡を取り、情報を収集しているが、イラクでは出入国の管理が徹底しておらず、15日午前の段階では、事実かどうか確認できていない。

 JVJA代表の写真家・広河隆一さん(60)によると、14日午後10時過ぎ、イラク人男性からJVJAの会員に、事件を伝える電子メールが届いた。

 メールの中で2人はそれぞれ、「ヤスダ・ジャンベ」「ワタナベ」と英語で表記されており、フリーライター安田純平さん(30)(埼玉県入間市在住)と、NGO「米兵・自衛官人権ホットライン」のメンバー、渡辺修孝のぶたか)さん(36)(栃木県足利市出身)とみられている。

 広河さんらによると、2人は14日午後2時ごろ(現地時間)、電子メールを送ってきたイラク人男性や運転手とともに、車でバグダッド西部アブグレイブで起きた米軍ヘリの墜落事故の取材に向かっていたところ、4台の車に分乗した武装グループに襲撃され、拘束された。イラク人男性はメールの中で「殺されるかもしれないと感じた」と記していたという。

 安田さんがイラクの現地ルポなどを寄稿していた中日新聞東京本社によると、安田さんは3月14日に日本を出国して、バグダッドに入り、中心部のホテルを拠点に、戦争で被害に遭った市民を取材していた。拉致の直前とみられる14日午後3時ごろ(日本時間)にも、同社発行の15日付東京新聞朝刊の一部に「邦人人質 カギ握るファルージャ」との見出しで掲載された記事を電子メールで送稿してきた。

 その後、同本社から原稿内容の確認を求める電子メールを送ったが、安田さんからの返信はなかった。拉致の1報が流れた直後の15日未明にも携帯電話に連絡したが、電源が切られた状態になっているという。

 一方、「米兵・自衛官人権ホットライン」の小西誠事務局長(55)によると、渡辺さんは栃木県足利市出身の元自衛官で、自衛隊活動をリポートするため3月1日からイラク入りしていた。週に数度、リポートをメールで送信してきたが、13日夕方にリポートが送られてきた後は、連絡が取れなくなっているという。

 2人は4月からは、渡辺さんが借りた近くのアパートで一緒に住んでいた。バグダッドに取材拠点があるアジアプレス(東京・渋谷区)によると、2人が暮らしていたアパートの部屋には荷物がそのまま置かれており、管理人が「14日の朝、2人で取材に出かけて以降、戻ってこない」と話していたという。(読売新聞)

[4月15日13時54分更新]

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040415-00000005-yom-soci