選ばれる感覚って。。。。

 最近、こんなこと考えています。

 たとえば、キャバク嬢や風俗嬢はわかりやすいと思う。「指名」が取れれば、ある意味、指名した客に仕事が認められ、選ばれた感覚はあるでしょうね。単に、指名料が取れるという経済的な問題以上に、うれしいものらしい。

 しかし、ライターってどうなんでしょうか。 署名、無署名の仕事関係なく、「選ばれた」感覚って持っている人はどれくらいいるものなんでしょうか。ある意味で、編集者はプロデューサーであります。ライターは、その編集者の「持ち駒」な存在です。
 その「持ち駒」としてのライターのなかには、その「持ち駒」として唯一の価値があり、その「駒」しかできない仕事があります。そうした場合、選ばれた感覚はあるんでしょうね。

 私は編集者になったことはないので、編集者からライターがどのように見えているのかわかりません。どうなんでしょうか。駒をわざわざ選んでいるのでしょうか。それとも、誰でもよいその他大勢の「駒」のひとつなのでしょうか。「ネタ」によっても違うと思うのですが。。。

 こんなことを考えてしまうのは、自信がないからなのでしょう。
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 他者評価的な問題ですね。

 ただ、選ばれたとしても、その期待に応えられるほどに、自分の中身が成熟しているものなのか、という不安もあるでしょう。
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 自己評価的な問題です。

 誰でも良いという「その他大勢」の1人としてみられた場合、それは匿名原理が働くことでしょう。それは、日常の自分とは違った、背負ったものを排除できることも意味します。

 一方、選ばれたとして、それは日常の自分への評価であるでしょう。

 そう考えると、両方の仕事があって、バランスがよいのかもしれません。
 背負ったことばかりしていても、ストレスで窮屈です。かといって、匿名性な仕事ばかりでも、存在価値的なものに疑問を感じてしまいますからね。