「自殺予防デー」の10日、緊急シンポジウム「〜 自殺対策のグランドデザイン構築を目指して 〜」が都内の国連大学でイベントがありました。自殺予防を目的とするNPOライフリンク」が主催。遺族やボランティア、研究者など約100人があつまりました。「自殺予防」を目的に、立場を越えてシンポジウムを行うのは珍しいのです。

 最初のテーマは自死遺族のネットワークについて。遺族の女性は「10年前は自殺はタブーで、親が自殺で死んだとは言えませんでした。いまでも親がなぜ亡くなったのかはわかりません」と心情を話した。精神科医からは、自死遺族のネットワークをつくることの必要が述べられたが、同時に、安心な場を確保するためにはスタッフの研修が必要との声もあがった。さらに、別の精神科医からは「遺族にはサバイバル・ギルド(生き残ったことへの罪悪感)があり、自責感情が強い。これが危機介入の主なターゲット」との話もあった。

 次のテーマでは現場からの話で、私もここで、あるメールのやり取りを話しました(といっても、何も用意していなかったので、とっさに出た話をしてしまいましたので、まとまりのないものになりました)。電話相談の現場からは「『死にたい』という言葉は、『生きたい』という心の叫び。それに寄り添っている」との話や、自殺とうつ病との関連、各関係機関との連携の不十分さなどが出されました。

 やったこと自体に意味はあるでしょう。 しかし、結局、何が焦点になったのかはあいまいでした。
 いつもそうですが、現場で動いている人と研究者がこうした会合を開くと、現場と研究の温度差を知ることができます。今回もそうでした。現場はほぼボランティア、研究者はサラリーをもらっている労働者。これだけをみてもルサンチマンが出てきそうです。
 さらに、現場感覚は「目の前の命」の問題ですが、研究レベルではシステムと自殺率の低下が問題となってきます。善悪ではなく、まるで視点が違います。

 システムという意味では、自殺者の多くは精神医療にアクセスしていないと言われています。そのため、自殺念虜のある人と精神医療をどのように結びつけるのか、が課題となってきます。しかし、取材をして聞くことは、若い世代の自殺念虜者は通院しているケースが増え、そこでもなお、治療がうまくいっていないケースが多いのです。なかには、救急の場で、自殺のヒントを教えてしまうこともあるのです。

 こうした現実をみていると、単に自殺念虜者と精神医療を結びつけるのも危ういものとなってきます。たしかに、関係機関、立場を超えた人たち、それぞれの連携は必要です。しかし、それぞれの現場の「膿み」をさらけ出すことも大切です。