週刊金曜日 on サイゾー

 来月の「サイゾー」に掲載される、「週刊金曜日」に関する座談会が行われました。参加者は、私を含む外部ライター2人と、元編集者の3人。
 座談会のきっかけは、小泉の郵政選挙に関する記事で、配信契約していない共同通信時事通信の記事を無断使用をしたことで、『金曜日』は「おわび」記事を掲載しています。批判にさらされると弱いというメディアの体質を露呈し、「金曜日、お前もか!」と思った人もいたことででしょう。
 しかし、問題は単に「無断使用」ではなく、「マスメディアに載らない週刊金曜日らしい記事」ではなく、「通信社と同じ記事内容、記事スタンス」でも掲載されてしまったのです。それは読者への「裏切り」とも言える状況です。そのため「金曜日」に対する「言いたい放題」のような感じになりました。

 私と『金曜日」とのかかわりは古く、1993年、まだ長野県諏訪市に住んでいたとき、諏訪読者会の結成メンバーでした。当時はまだ「月刊金曜日」(週刊化される前の4号は月刊)で、読者会を地方の支局的な位置づけにしようという雰囲気があったのでした。金曜日創刊のための、本多勝一氏や筑紫哲也氏の講演会を手伝ったり、当時の編集長・和多田進氏を囲む会なども開いていました。
 当時長野県では、伊那を皮切りに、飯田、諏訪、松本、長野の各地の読者会がつくられ、ゆるやかなネットワークができつつありました。長野オリンピックへの疑問も読者会の中心テーマでした。私もこのテーマで、何度か記事を書かせていただきました。また、「支局的な役割」、あるいは、「読者からの情報発信」の意味からも、県内各地の読者会の連名でページもらい、意見表明をしたこともありました。
 そういえば、悲しいこともありました。伊那読者会のコアメンバーで、元長野日報記者で、当時郵便局員だった男性が自殺してしまったのです。彼は、「金曜日」への期待度は高く、最もよく動いていたうちの一人です。そのため、和多田さんに「金曜日の編集者」としてスカウトされたのです。しかし、家族は反対だったために、その狭間で悩んだ結果でした。

 こうした話は座談会の中心的な話題ではないために、あまり紙面には載らないでしょうね。