Web日記を考える

 blogやSNSが流行している現在、犯罪当事者(加害者も被害者も含む)の日記がweb上にあることは、珍しくはなくなってきた。おそらく、事件とWeb上の日記が注目されはじめたのは、佐世保の小六同級生殺害事件だったのかもしれません。



 それ以後、Web上に日記があると、どこから入手するのか、2chに貼付けられ、まとめサイトやコピーサイトができ、それをもとにしたと思われる情報がメディアに流れるといったことはもはや、自然の流れと思ってしまうほどな状況です。



 佐世保事件のときは、Cafestaでしたが、数日間は直接アクセスできましたが、おそらくサイト側が削除しました。静岡のタリウム事件のときには楽天がすばやい反応を示し、すべての日記がメディアに流れる前に削除されました。ほとんどのメディアでは、キャッシュやそれをもとにしたまとめサイトの情報を掲載していました。



 京大アメフト強姦事件のときはmixiがその舞台となりました。日記を書いていて、それが話題になりましたが、そのうち、mixi側が削除しています。今回の平塚事件(アパートから5人の遺体が発見され、そのうちの19歳の女性の母親が逮捕された事件)でも、殺害された女性はmixiで日記を書いていました(ちなみに、友人までの公開、であるため、直接は読めません)。

 たまたま発見したまとめサイトで、その日記の情報がコピペされていましたが、その日記のコピーサイトはきょうの夕方のニュースが流れる前まではみれていましたが、削除されています。当人のページも、アクセス制限されています。



 Webがない時代は、当事者が日記を書いていた場合、捜査当局や新聞記者らが、その情報を独占し、その情報からメディアが「事件に関連した部分」「当事者の人柄がわかる部分」を勝手に判断し、流していました。Webの時代になったいま、メディアが知る前に、ネットユーザーが発見し、コピーサイトが作られる。その情報が万人に提供される。



 一方、自分のWeb日記は、事件の当事者にならない限り、話題になることはほとんどないでしょう。そんな中、「去年のGWは何をしていたか」と知人に聞かれ、まったく記憶がありませんでした。何をしていたのか気になった私は去年の日記をmixiで見てみた。なるほど、思い出せます。あんなことをしていたのでしたね、と。日記があると、自分の過去を知ることができますね。そうした一面もあるんだな。



 ちなみに、二年前のことは「はてな」で書いていた。3年連続ほぼ同じGWだな。3年前は「さるさる」で書いていますね。あの子が今頃、亡くなっていたのね。4年前は、投球骨折をしてましたね。産まれて初めての骨折でした。



 きょうはWeb日記のことを考えていた。