執筆者としての選択

 私がフリーランスになったのは98年。28歳で、新聞記者を辞めて、何をするかを決めていなかった。辞める同僚などは同業他社に就職することが多かった。



 その後、細々と週刊誌や月刊誌で執筆しながら、家庭教師をしていたりしたが、大学院進学を決意。99年4月に、大学院に入る。フリーランスは続けていたが、安定しない収入だったので、ある教育雑誌の編集でバイトをしようとした。



 数日たったとき、「毎日、編集部に来れないか?」と問われ、「いえ、ライターとして取材もしているので」と答えた。すると、編集長が「ならば、これからどういう方向に進むのか?編集か、ライターか、選びなさい。そして、編集を選ぶのなら、できるだけ毎日来てほしい。ライターなら、辞めてもらう」と選択を迫られた。

 当時、編集とライターが対立するものではないし、編集をしながら、ライターをしている人もいる人を知っていた。そして、本の著著になった編集者だっていることも知っていた。しかしながら、現実的、それが「対立」するのなら、どうするのか。



 「一日考えさせてください」



 そのとき、そう答え、翌日まで考えたものです。本当に、編集者とライターは対立するのか。でも、その雑誌では、対立するんだよな、と思った。ただ、編集者として毎日出社したら、収入は安定するよな、とも思い、翌朝まで悩んだものでした。その雑誌を紹介してくれた人への義理も含めて。



 いまから考えれば、対立しない雑誌なんか、いくらでもあることを気がつかされる。たまたま、私はそうした人間関係の中にいなかったし、コネもなかった。やはり、地方新聞の記者出身のフリーライターの弱点はつながりなんでしょうね。



 で、結局、編集者ではなく、フリーライターを選択することになった。そのときは安定しなくても、書いていきたいと、はじめて自覚した出来事だった。実は、それまで、明確に書いていきたい、とは思っていなかった。だから、ある意味、そのときに、選択を迫られたことがいまの自分につながることになる。



 どっちがよかったのか。そんなのはわからない。あのとき、編集者を選択し、その雑誌にずっといようが、別の雑誌に移ろうが、おもしろい書き手を探すことがよかった、という結論だってあるだろうし、両方できる場を探すことだってできたかもしれない。そんなのは結果でしかない。





 ある書き手志望の人との会話。



 「渋井さんが本を書くのは、残したかったからですか?」



 「そうだな」



 「やっぱり、一冊でもいいから、残したいですよね。だから本を書くんですか?」



 「いや、人の心に残っていてほしいから」



 一瞬静まりかえって、笑い声。



 最近、就職の時期のせいか、書き手になりたい、とか、ジャーナリストになりたい、とか、新聞記者になりたいとか、よく聞くので、自分が「書き手」を選択した時期のことを思い出した。