『若者を見殺しにする国』(双風舎)評(前) 〜 内容を読む前に 〜

 様々なメディアが取り上げているので、本書を知っている人も多いだろう。「論座」(朝日新聞)でデビューし、今では、「漫画ナックルズ」(ミリオン出版)でも取り上げられている。「希望は戦争」というキーワードは、世の中を、特にメディアに携わる人たちを刺激した、ということなのだろう。

 

 著者の赤木智弘氏は1975年生まれ。私よりも6歳下である。ということは小学校をかぶっておらず、同じ時代を同じ目では見ていないので、時代認識にはおそらくズレがあるだろうと思って、読んでみた。

 

 まず、彼は小学校時代の自分を「問題児」と表現した。いばわ教師に反抗していたようだ。一方、私は、小学校時代はたしかに、一時期、「問題児」だったが、その矛先は教師ではなく、上級生だった。だが、4年生以降はおとなしくなった。むしろ学級委員タイプだったように思う。

 

 共通することは、中学から高校にかけては「あきらめ」ていたこと。諦めの形として、彼は「不登校児」のようになるが、私は「透明化」した。私のいう透明化は、目立たないことによって、交換可能な存在になることを意味する。その意味では、彼と同じスタンスだったかもしれない。

 

 一方、彼は「30代、フリーター」という属性のようですが、私も似ています。「30代、フリーター」です。ただし、マスコミ界のフリーターなので、フリーライターを名乗ることが許された。私は、新聞社に入って、28歳で退職しますが、その後、どんな仕事に就こうかを考え、しかし向いている仕事がなく、とりあえず「書く」ことを生業にしてみようと思い、フリーライターなりました。

 

 彼は、様々な出会いによって「書く」ことを夢にした、といいます。しかも、彼の努力として、東大先端研の「ジャーナリスト養成コース」に行きます。私は、ジャーナリズムを学ぶことに共感は持ちません。なぜなら、ジャーナリストは大学によって養成されるものかどうか疑問だったからです。しかしながら、何かを打ち破ろうとして、「大学で学ぶ」ことを選択したことは共感できます。私も新聞社を辞めた後、自分に何ができるのかを悩み、大学院に進学したからです。

 

 ただ、彼の見ている風景の「誤差」があります。彼も私も同じ栃木県出身です。東京在住者から見れば、彼も私も同じような田舎者です。しかし、私は県北の那須町出身。彼は佐野市在住。大学浪人で東京に出てくるまでは、私から見れば、彼は田舎者ではありません。これは、田舎の「田舎度」の差であると言わればそれまでですが、東京に近い分だけ、全く違うという意識があります。

 

 彼の文章から判断できる人物像を私なりに想像し、どのような立場で書かれたものなのか、どんな衝動があって書かれたものなのかをイメージしつつ、本書を読んでみたのです。

 (つづく)



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