和光大学が、先日死刑判決をうけ、即日控訴した麻原被告の3女の入学を拒否した。個性のある教育で名のある和光大であるが、麻原被告の3女という「個性」は、拒否した形となった。
 この処置が、私立大学であることから、憲法上の「教育を受ける権利」の争いはないと私は思っている。それは過去の判例にもあるように、私立学校の場合は、直接、憲法上の権利を主張できないからだ。
 たとえば、修徳高校普通自動車免許取得/パーマによる校則違反での自主退学裁判がある。これは、私立学校が独自の教育理念によって定める校則が、憲法上の保護を受けないというものだ。簡単にいえば、憲法は国家と国民の約束なので、公立高校では保障されても、私立学校では認められないのだ。学校制度は国家が保障し、私立学校にも教育費は流れているのに、おかしな理屈だと私は思いますが。
 ただ、争いがあるとすれば、入学者選抜権をどう位置づけるのかということだろう。各学校は、独自の基準で入学者を選抜できる。しかし、明らかな人権侵害を明示した選抜方法は、社会通念上、不法行為になる可能性もある。この間にある問題でしょうね。  
 もし、この問題が裁判になれば、どのようになるでしょうか。かつて、オウム信者の住民票を拒否した自治体は、違憲判決がなされ、敗訴。受け取るよういに言われています。これは入学拒否した公立学校にも言えることです。しかしながら、今回のケースは私立学校です。思想、信条を理由に合否は出せるのでしょうが、一旦合格しながらも、家族構成をみて、学内の治安を理由に入学拒否したわけです。これは、どう判断されるべきか。いや、裁判での判断はともかく、個性重視を目指した和光大学の判断は、今後、いろいろな場面で影響がでそうか気がします。

 <松本被告三女>「自由な学習守り切れない」入学不許可で和光大

 オウム真理教アーレフに改称)の松本智津夫麻原彰晃)被告(49)=東京地裁で死刑、控訴中=の三女(20)の入学を拒否したことについて、和光大学(東京都町田市)の三橋修学長は16日、「本人の自由な学習を守り切れないと同時に、在学生の学習環境を維持できないと考え、入学不許可という苦渋の選択をした」とするコメントを出した。
 同大によると、試験合格後に入学手続き書類を提出させた際、家族構成などから松本被告の三女と判明したという。
 三橋学長は「本人に責任がなくとも、学内の平穏な教育環境を乱す可能性が大きい。賛否の議論はある。社会の批判のあり得ることも承知の上、この決定をした」としている。(毎日新聞
[3月16日13時48分更新]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040316-00001057-mai-soci

判例要旨=集民179号)
普通自動車運転免許の取得を制限し、パーマをかけることを禁止し、学校に無断で運転免許を取得した者に対しては退学勧告をする旨の校則を定めていた私立高等学校において、校則を承知して入学した生徒が、学校に無断で普通自動車運転免許を取得し、そのことが学校に発覚した際にも顕著な反省を示さず、三年生であることを特に考慮して学校が厳重注意に付するにとどめたにもかかわらず、その後間もなく校則に違反してパーマをかけ、そのことが発覚した際にも反省がないとみられても仕方のない態度をとったなど判示の事実関係の下においては、右生徒に対してされた自主退学の勧告に違法があるとはいえない。

主     文

 本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。

理     由

 上告代理人斉藤義房、同八塩弘二、同石川邦子、同古口章、同岡慎一、同坪井節子、同伊藤重勝、同末吉宜子、同黒岩哲彦、同須納瀬学、同楠本敏行、同石橋護、同古波倉正偉、同児玉勇二、同平湯真人、同吉澤雅子、同柴垣明彦、同森野嘉郎、同伊藤芳朗、同村山裕の上告理由第一ないし第三及び第一〇について
所論は、修徳高校女子部の、普通自動車運転免許の取得を制限し、パーマをかけることを禁止する旨の校則が憲法一三条、二一条、二二条、二六条に違反すると主張するが、憲法上のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、国又は公共団体と個人との関係を規律するものであって、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものでないことは、当裁判所の判例(最高裁昭和四三年(オ)第九三二号同四八年年一二月一二日大法廷判決・民集二七巻一一号一五三六頁)の示すところである。したがって、私立学校である修徳高校の本件校則について、それが直接憲法の右基本権保障規定に違反するかどうかを論ずる余地はない。所論違憲の主張は採用することができない。
私立学校は、建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針によって教育活動を行うことを目的とし、生徒もそのような教育を受けることを希望して入学するものである。原審の適法に確定した事実によれば、(一)修徳高校は、清潔かつ質素で流行を追うことなく華美に流されない態度を保持することを教育方針とし、それを具体化するものの一つとして校則を定めている、(二)修徳高校が、本件校則により、運転免許の取得につき、一定の時期以降で、かつ、学校に届け出た場合にのみ教習の受講及び免許の取得を認めることとしているのは、交通事故から生徒の生命身体を守り、非行化を防止し、もって勉学に専念する時間を確保するためである、(三)同様に、パーマをかけることを禁止しているのも、高校生にふさわしい髪型を維持し、非行を防止するためである、というのであるから、本件校則は社会通念上不合理なものとはいえず、生徒に対してその遵守を求める本件校則は、民法一条、九〇条に違反するものではない。これと同旨の原審の判断は是認することができる。論旨は、独自の見解に立って原判決を非難するか、又は原判決を正解しないでこれを論難するものであり、採用することができない。

 その余の上告理由について
 所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、その過程に所論の違法はない。右事実によれば、(一)修徳高校は、本件校則を定め、学校に無断で運転免許を取得した者に対しては退学勧告をすることを定めていた、(二)上告人の入学に際し、上告人もその父親も本件校則を承知していたが、上告人は、学校に無断で普通自動車の運転免許を取得し、そのことが学校に発覚した際も顕著な反省を示さなかった、(三)しかし、学校は、上告人が三年生であることを特に考慮して今回に限り上告人を厳重注意に付することとし、上告人に対し本来であれば退学勧告であるが今回に限り厳重注意としたことを告げ、さらに、校長が自ら上告人と父親に直々に注意し、今後違反行為があったら学校に置いておけなくなる旨を告げ、二度と違反しないように上告人に誓わせた、(四)上告人は、それにもかかわらず、その後間もなく本件校則に違反してパーマをかけ、そのことが発覚した際にも、右事実を隠ぺいしようとしたり、学校の教諭らに対して侮辱的な言辞をろうしたりする等反省がないとみられても仕方のない態度をとった、(五)上告人は、本件校則違反前にも種々の問題行動を繰り返していたばかりでなく、平素の修学態度、言動その他の行状についても遺憾の点が少なくなかった、というのである。これらの上告人の校則違反の態様、反省の状況、平素の行状、従前の学校の指導及び措置複ぴに本件自主退学勧告に至る経過等を勘案すると、本件自主退学勧告に所論の違法があるとはいえない。これと同旨の原審の判断は是認することができる。所論は、違憲をも主張するが、その実質は本件自主退学勧告の裁量逸脱の違法をいうものにすぎない。論旨は、帰するところ、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は被自の見解に立って原判決の法令違背をいうものであって、いずれも採用することができない。

 よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長)井嶋一友 小野幹雄 高橋久子 遠藤光男 藤井正雄
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