長崎男児誘拐殺人事件はもう1年が経ちます。それを受けてか、被害者の父親が手記を公開しました。内容は、被害者になってみないとわからないのでしょうが、加害者およびその保護者への怒りをあらわにしています。いくら、謝罪があっても、殺害された子どもは返ってこないわけですからね。ただ、癒されつつ面も若干あります。

長崎市の幼児誘拐殺人事件は1日、発生から1年を迎える。被害者の種元駿ちゃん(当時4歳)の父毅さん(31)が、一周忌に合わせて手記を代理人の弁護士を通じて公表した。癒えない悲しみや少年法に対する不満などを訴え「審判記録や精神鑑定記録などは公開し、教訓を得て犯罪防止につなげることが大切」としている。また佐世保市の小6同級生殺害事件にも触れ、死亡した女児(12)の父で毎日新聞佐世保支局長、御手洗恭二さん(45)の昨年9月の記事を読んで、勇気づけられたことなども記している。
 文書はA4判で18枚。6月18日に書いて弁護士に託していた。【松本光央】
◎ことば=長崎市幼児誘拐殺人事件 昨年7月1日夜、長崎市中心部の立体駐車場で、種元駿ちゃん(当時4歳)が屋上から突き落とされて死亡。長崎県警は同月9日、駿ちゃんを誘拐し突き落としたとして市内の少年(当時中1、12歳)を補導し、児童相談所に通告した。送致を受けた家裁は少年の精神鑑定を実施し、9月29日に児童自立支援施設へ送致する保護処分を決定。同日、少年は「国立武蔵野学院」(さいたま市)に収容され、自立に向けた治療や教育を受けている。

◆種元さんの手記要旨

 息子駿の一周忌を迎えるにあたって

 ■現在の状態
 先日加害者両親からの謝罪を今後一切お断りする旨の決断をし、弁護士からその旨を伝えていただきました。これまでのことを冷静に考えると、どんな謝罪であれ受け入れることはできませんでした。納得できない形で謝罪を受け入れることは、駿の思いを裏切ることになると思っています。
 駿が亡くなって1年がたつということを考えて落ち込んでしまい、どうしようもない状態なのです。自分たちが今正常な状態にあるのか、それともそうでない状態なのか、それさえはっきり分からないのです。

 ■加害者とその両親
 加害者には恨み、憎しみの感情しかわきません。駿を言葉巧みに連れ出し、駐車場の屋上で体を刃物で傷付けられ泣き叫んで逃げ回り、助けを求めた4歳の子供に対し全く動揺したり、情けを感じることなく殺害に及んだ人間を許すことはあり得ません。
 いつかこの人間が更生できたと判断され、社会に復帰することになった時、今の生活を続けることができるのだろうか、その理不尽さに耐え切れないのではないかという思いもあります。

 ■少年法
 犯人が12歳の人間で刑事罰さえ加えられず、少年院さえも入れられないことは頭の中では分かっていても、到底納得できず、やり場のない怒りの気持ちが生じました。
 次に私たちを苦しめたのは事件に関する事実、加害者に関する事実をなかなか知ることができないことでした。加害者側の弁護士は加害者について「本当に普通の子供。反省している。自首するつもりだった。謝罪の手紙を書いている」と記者会見などで発表していました。ところが、私たちが記録の閲覧などで知ることができた加害者像とは全く異なっていました。
 少年が罪を犯した時は、その人間が特定されるような情報だけが制約を受ければいいのであって、法律記録・審判記録・精神鑑定記録等すべての事実は公にされるべきだと思います。罪を犯した人間が更生することも大事だとは理解できますが、事実が公にされ、そこから教訓が得られ、事前に犯罪を防止することにつなげることが、より重要で、より大きな公の利益になると思います。

 ■少年審判結果と家裁の対応
 最終審判を前に、現行法体系内でできる最大限のことをしてほしいと家裁に求めました。それはある程度受け入れていただいたように思います。これについては本当に感謝しています。ただ、私たちは、審判記録や精神鑑定記録すべてが閲覧できたわけではなく、もちろんすべてが公表されたわけでもありません。
 精神鑑定記録は加害者の今後の処遇を決定する最重要決定因子であるはずです。これが一部の人間にしか共有されないことは、精神鑑定が正しかったのか、それに基づく処遇が本当に適切であるのか、その検証さえできないことを意味します。

 ■犯罪被害者を取り巻く状況
 犯罪被害に遭って感じたのは、これから先一体何をすればよいのだろう、誰に苦しい思いを聞いてもらえばよいのだろう、誰に相談すればよいのだろうということでした。幸い、事件後すぐに長崎県弁護士会の犯罪被害者支援特別委員会から支援の申し出をいただき、苦しい胸の内を聞いていただいたり、少年審判の記録閲覧、意見陳述などの手続き・付き添い、報道対応などとお力添えをいただいてきました。
 もしこのような支援制度がなく、私たちだけで対応することになったとすれば、今よりもひどいものであっただろうと思います。今後、犯罪被害者を支援する制度が更に拡充し、被害者の回復が少しでも早く、少しでもより高いレベルになるように望みます。加害者は国によって更生・矯正支援がなされます。同じように被害者が回復できるよう支援することは国の責務だと思います。

 ■報道
 取材の方が多く訪ねられてきた時は疲弊しましたが、私たちが事件のショックで取材に答えることができない状況にあり、弁護士を通じて思いを述べると伝えてからは、そのようなことがほとんどなくなりました。紳士的に対応していただいたと思っています。

 ■神戸連続児童殺傷事件加害者仮退院報道
 最も気になったのは、仮退院する時の判断理由として再犯の恐れがなくなったことを理由にしたことです。本当に再犯の恐れはないのでしょうか。もし退院後に再犯が起こった場合、誰が責任を取るのでしょうか。もし100%再犯の恐れがないと国が明言して社会復帰させるのであれば、再犯が起きた時は誰が責任を取るのか明確にしてほしい。明言できない状態で仮退院させざるを得ないのであれば、国が社会にリスクを背負わせるということになるのですから、具体的な仮退院場所などの情報を提供するなどの対策をするべきではないのでしょうか。

 ■行政の取り組み
 駿が亡くなって以降も県内外を問わず幼児・子供の安全を脅かす事件が発生しています。長崎でも今回痛ましい事件が起こりました。今後、いろんな取り組みがなされると思いますが、それらの取り組みのすべてがすぐに効果を表し、痛ましい事件がすぐに皆無になることはないのかもしれません。でも、今後もいろいろな取り組みがなされることを希望します。

 ■これから
 私たちは心に傷を残したまま生活を続けていかなければなりません。ただ、駿が亡くなったという事実に対し悲しみ、涙を流しているだけでは何も始まりませんし、駿が帰って来てくれるわけでもありません。それであれば、強く生きていきたいと思います。

 ■同級生殺害事件報道
 駿の11回目の月命日の6月1日、また悲しい事件が起こりました。ご家族、ご親族の方々の悲しみ、苦しみ、憎しみ、怒りを思うと何とも言えない気持ちになります。
 特にお父さんが毎日新聞佐世保支局長で、御手洗さんと分かった時には本当にやるせない思いになりました。それは昨年9月29日の毎日新聞の紙面で「西海評論 奪われた夢」と題して記事を書かれた方であったからです。私たちのつらくて悲しい気持ち、加害者とその両親に対する憤り、怒り、今後の不安について理解してくれている方がいるということを実感することができ、本当に心強く思い、勇気付けられました。
 現在、加害者からの言葉を基に報道されていますが、そこには加害者側の思い・感じたことだけではなく、事件事実に基づいた報道がなされるべきだと思います。そのためにも今回の事件についての事実が公にされ、推測ではない事実に基づいた報道がなされるように切に願います。
平成16年6月18日  種元 毅
毎日新聞 2004年7月1日 4時30分

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20040701k0000m040181000c.html    さて、佐世保・小6同級生殺害事件ですが、西日本新聞の連載(Webで公開されている)を読んで、新たに分かったことがあります。犯行日の行動なんですが、以下を読んでみてください。

   事件の一週間くらい前の五月下旬。女児が男子児童を追いかけ回し、捕まえると殴ったり、倒れた体を踏みつけたりした。慌てて止めに入ると、「くそっ」と怒りをあらわにした。
 そのころ、女児と怜美さんとの仲は険悪になっていた。五月上旬には「お嬢(怜美さん)とチャットした」「マタシヨーネ」と、ネットで仲良く“会話”していた二人が、同じネット上でいがみ合っていた。
 そして事件当日。女児は怜美さんに、交換日記から外れるよう告げられた。よりどころだったネットと交換日記でも孤立し、追い込まれていったのか。女児が怜美さんにカッターを振り上げたのは、その数時間後だった。

 交換日記から外れるように言われた、といいます。たしかに、これが「殺意」は持ったとしても、「殺す」ほどの動機だったのかは、わかりません。しかし、これが事実だとすれば、交換日記から外れることの恐怖があった、ということになります。チャットでいがみあいながらも、交換日記を外れることは恐れた。喧嘩しているほうが、無視されるよりも、まだつながっていると思ったのか。思考パターンはまだよくわかっていませんが、ハブられる恐怖が支配していたのではないか、と思えるエピソードです。  現場となった小学校は、小規模な学校です。ということは、子どもたちにとって、学校的な世間=日常だったことでしょう。そしてオンラインでも学校的な世間を相手にしていた。学校のつながりがすべて。そうした中では、交換日記を外されると、そこでは生きて行けない、との思いが募っても不思議ではありません。「知っている人」だからこそ、日常のトラブルがオンラインでも進行し、ネットでのトラブルがさらに日常化していく。それでもなお、無視されるほうが恐かったのでしょうね。それが、「殺意」の要因のひとつにあったのかと想像できます。