【評】「失恋論」を読む 1

 切通理作さんの「失恋論」を読んでいます。



 まず、冒頭に、失恋で思い出す曲として「失恋レストラン」をあげています。

 切通さんは、この曲を聴いた小学生のころ、失恋レストランみたいな場所があったらいいな、と思ったそうです(なんとも早熟な感覚だったのだろうか.失恋する以前の、恋すらしていない時期にそう思えたのは、すごいなあ、と思ったしまった)。「失恋レストラン」があれば、マスターに失恋話をしながら、酒を飲み、忘れることができる感覚なのだろう。



 誰かに失恋話を聞いてほしいという欲求はありますよね。私もときどき、バーで話をしてしまいます。私にとっては「失恋バー」なのか。



 ただ、失恋曲となると、やはり、徳永英明の「レイニーブルー」でしょうね。高校時代に付き合っていた人と、喧嘩別れをした時期に、ちょうど流れていた。高校時代の私は、授業中に、ノートに詩を書いたりして、忘れようと努力をしていた。また、日頃はしないことをしてみようと、日記(失恋日記?)を書いてみたりした。その日記はいまでも残っていて、ついこの前、読み返してしまった(笑)そんなときに、聞いていた曲です。



 この曲は、終わったはずの「あなた」を、なぜか追いかけるといったものです。そして、雨が「その幻」を消してくれる、といった内容です。まさに、あの時の恋は、「終わった」ものであり、失恋=つまり、恋を失う、といった感覚でしたね。しかし、「付き合った」という意味では、初めての人でもあり、その後も、彼女は、私の心に生き続けました。そのため、言葉の意味で考えれば、失恋はしたものの、再び、恋をしています。まさに生まれ変わった、という感覚を何度も覚えました(本人、見てないよな・・・・汗)。ほかにも恋をすることはありましたが、彼女への思いを超えられるような思いはなかなか抱けなかったことを覚えています。



 書いていた失恋日記は、そのときの喪失感を埋めるために、新しい恋を探すことも書かれています。これは、気がついたら恋をしていたといったものではなく、寂しいから、その穴埋めをするための「恋」でした。「失恋論」の中でも、「付き合っている人はいるが、本当に好きな人は別にいる」女性の例が書かれています。まさに、私も、そうしていた時期がありました。



 このほかにも数々の私との共通点を見せられると、30代の私でも、まだまだ恋をしていいのだな、って思います。しかも、好きな人に告白した切通さんが、「友だちでいよう」とか、「対等に話せる人に出会った」といった感覚で、しかも、年が離れている女性にそうした気持ちを抱くのは、私と似ているなあ、と思ったのでした。



 30代や40代、あるいはそれ以上になっても、恋はできる。そう思える本だと思います。



 (つづく)