【評】「失恋論」を読む 2
「失恋論」の中で、切通理作さんは、失恋のプロセスについて、
[恋のはじまり]→[その高みからの墜落]→[どうしようもない喪失感]→[わきあがってくる恨みつらみ]→[意図的な忘却そして成仏し切れない気持ち]→[あげくは自分自身への裏切り]・・・。
と「あとがき」で書いています(p250)
たしかに、そうしたプロセスをたどることは多いでしょう。私もそうしたプロセスのほとんどをとってきました。しかし、「失恋」が「失恋」として終わる、つまり、もう恋しなくなる場合はそうだとしても、「失恋」が再び「恋」に転化する場合(ただ、一方的な片思いが多い)は、このプロセスで、[わきあがってくる恨みつらみ]と[自分自身への裏切り]がありません。
この二つがない恋愛は、私の場合、いくつかあって、いまでも、「片思い」をし、会ったときには、すごくドキドキしてしまいます。その人のことをリアルタイムで恋をしていたとき、リアルタイムで付き合っていたときのことを思い出し、そのとき以上に、緊張してしまいます。
「フラれても相手のことを考え続けることは、十分に恋愛していることになるんだよ」
これは、切通さんの飲み友だちの言葉です。
まさに、失恋が再び、恋に転化した場合に、そうしたことになっていることが多いのです。この言葉をみて、私の感覚はそうおかしくはないのだなと思いました。まさに、「時間を超えた『複数恋愛』」が成り立っても、いいのだな、って思えました。