遠野

 「遠野」の地名の語源は、山間の遠い野という説もあれば、アイヌ後の「トォーヌップ」(湖<トォー>のある地<ヌップ>)という説もあるらしい。遠野は昔、湖だったらしく、今でも、田植えの時期になると、早地峰山(アイヌ語で「東の山」。岩手山から東、という意味らしい)からみれば、湖のように見える。



 民話といえば、夜ばい話などもあるが、「遠野物語」にはそうした話は載っていない。柳田国男はどんな本でもそうした性的な話は書いていない。あるいは省略されて書かれてある。でも、あるんじゃないか?と思って、ユースホステルの人に聞いてみると、やはりあるらしい。「遠野物語」の元になった佐々木鏡石氏が集めていた話には、そうした話も含まれているという。「遠野物語拾遺」の一五にある御駒様の「隠された話」は実に面白かった。



 でもな、やはり、遠野といえば座敷童。夢に出てくるかと思ったら、出て来なかった。そのかわり夢に出て来たものは・・・・謎。



 「遠野は見るところではなく、感じるところ」



 そう言われているらしい。座敷童を感じることはできませんでした。



 市立博物館。柳田は「遠野物語」を遠野に人に読んでほしくなかったようだ。初版350部だったため、遠野の人は入手できないだろうと思っていた。



 読んでほしくない理由は、やはり、物語に出てくる人たちの名前を書いているからだ。今であれば、匿名にすれば?と思うのだろうが、柳田は実名にこだわった。しかし、実名にして、遠野の人が読んだら、どんな影響があるかわからない。そう思っていたようだ。



 実名か匿名か。古典的な民俗学でも悩んでいたのか。出版する以上、常にこうした問題はつきまとう。すでに、この頃からそうした悩みがあったとは・・・・。



 それにしても、博物館で動画で見せている「おしらさま」の話はものすごい話だなって、話の内容自体が。馬と娘が「夫婦」になるとは・・・・。



 遠野に物語が多いのかという理由なんかも博物館は工夫していて面白い。インドや中国、韓国、沖縄などの民話との類似性や相違点があるのかと関心する。

 物語とメディアとの関連もになかなか。口頭伝承だった民話がメディアに流通することの利点や問題点も指摘している。ある意味、博物館もそのなかにある。



 博物館などの施設だけでも面白いので連泊したいが、何日泊まっても関心ごど増えるだけだろうな。 そう思いながら、遠野を後にする。