恋愛を論じること
現在、ネット恋愛について取材・執筆をしていますが、その前に、様々な先人達が書いてきた「恋愛論」を読んでいます。
いろいろなところで、恋愛トークをするのですが、結局は、当事者にしかその価値は見出せない、ということは結論めいていることでしょう。「なんであんなヤツが好きなの?」みたいなものは、好きになった瞬間を共有できない以上、理解不能なのかもしれません。
しかし、真に相思相愛なのか、という点もわからないところです。一方が他方の人をイメージするキャラクターは、その真のキャラクターなのか。そもそも、それがお互いにとって、真の相互理解なのかは、証明しようがない。「好きな証拠」なんて見せられないわけです。私もかつて、「証拠を見せて」と言われ経験があります(汗。
その証拠について、三島由紀夫は「新恋愛講座」の中で、
「人間には心があるから、心で証拠を求めようとしても、からだで求められない。からだで求めようとしても、心で求められない」
と述べています。相互理解どころか、恋愛感情すら証明できないのです。
ただ、現実的な話は、本田透さんの恋愛論「萌える男」はおもしろい。いわゆる<恋愛資本主義>論を展開するのです。
モテる男(少数)
↑
女
↑
モテない男(多数)
この構図がピラミッドになっている(これを、恋愛資本主義ピラミッドという)。で、結局、少数のモテる男が女を独占する。モテない男にとっては、三次元恋愛の厳しい現状をついています。
でも、恋愛は論じるよりも、実践するほうが楽しいかも・・・。
ちなみに、ネット恋愛について特化した「ネット恋愛ブログ」を開設中です。